コース概要
本セミナーではタイトルの通り「差別はどこから来るのか?」について考えて行きます。
今回は導入編ということで、「ユダヤ人」がどのような過程を経て、大量虐殺されるまでの差別に至ったか、その原因を根の深く深くまで掘っていきます。
ユダヤ人の差別問題を歴史的事項として学ぶのではなく、自分事として、自分の中にある偏見や差別についても考える機会にしていただきたいです。
ユダヤ人と言えば「金貸し」で有名ですが、彼らが金貸しを生業にした経緯や、そもそも、お金儲けがなぜ古来から嫌われてきたのか?といった根源的な人間の差別的心理についても言及していきます。
また差別と対極とも言える「なぜ人は人を助けるのか?」「人類愛は存在するのか?」というテーマについてもワークを用いて考えていきます。
哲学者達が「人助け」についてどう考えたのか?その視点を取り込む事で「差別」が起こる背景がより理解できるようになるはずです。
小さなコミュニティが乱立し、社会が分断されていく時代。偏った考えは正されにくくなり客観性を失う可能性は誰にでもあります。
自分と価値観があわないコミュニティや人に対しての偏見や差別の心が、どこからやってくるのか?このセミナーを通して知り、より客観的に世界を見るきっかけにしてください。
ユダヤ人の差別問題を歴史的事項として学ぶのではなく、自分事として、自分の中にある偏見や差別についても考える機会にしていただきたいです。
ユダヤ人と言えば「金貸し」で有名ですが、彼らが金貸しを生業にした経緯や、そもそも、お金儲けがなぜ古来から嫌われてきたのか?といった根源的な人間の差別的心理についても言及していきます。
また差別と対極とも言える「なぜ人は人を助けるのか?」「人類愛は存在するのか?」というテーマについてもワークを用いて考えていきます。
哲学者達が「人助け」についてどう考えたのか?その視点を取り込む事で「差別」が起こる背景がより理解できるようになるはずです。
小さなコミュニティが乱立し、社会が分断されていく時代。偏った考えは正されにくくなり客観性を失う可能性は誰にでもあります。
自分と価値観があわないコミュニティや人に対しての偏見や差別の心が、どこからやってくるのか?このセミナーを通して知り、より客観的に世界を見るきっかけにしてください。
こんな人におすすめ
仮想敵を作らなくても成立する健全なコミュニティ運営をしたい方哲学的な思考を身に着けてビジネスに活かしたい方お金を稼ぐことに対して後ろ向きなイメージを持ってしまっている方自分が「差別的な視点で物事を見ていないか?」と少しでも疑心がある方ユダヤの歴史から差別が起こる仕組みを学びたい方フラットな視点で物事をみる目を養いたい方
コンテンツ内容
西洋思想史セミナー 第8回 差別はどこから来るか
第8回 動画その1 0:46:18 | ・(ワーク)自分の子と他人の子どっちを助ける? ・人間に「人類愛」は存在するのか? ・アウシュビッツの生存者が生き抜けた理由 ・人が生きる理由はどこにあるのか? ・カントの考える人助けと道徳 |
第8回 動画その2 1:15:46 | ・ユダヤ人が差別されるようになった理由 ・差別の原因を作るのは被害者か?加害者か? ・人は想像で差別対象を決めている? ・お金持ちが嫌われる宗教的な背景 ・全人類が平等な財産を持った時に世界は安定するのか? |
編集部の感想
私自身、差別される側の立場になったことがあるだけに、非常に学びが多いセミナーでした。
私は海外に長期滞在していた時期に、黄色人種というだけで、軽く差別された経験があります。いわゆる白人至上主義みたいなものですね。
その当時は「なにもしていないのに、なんで差別されなきゃいけないの!」となすすべなくイライラ悶々とした気持ちを抱えて過ごすことしかできませんでした。
そんな経験があるからこそ、今回のセミナーに興味を持ったのですが、このセミナーで一番印象に残っているのが「差別は被害者側が積極的に作った可能性もある」という所です。
過去の経験もフラッシュバックして「そんなことあり得るの!?」と驚いたものの、しばらく聞いてみると、なんとも当たり前の話でした。
必ずしも、向こうが(特に個人が)作った差別とは限らなかったんですよね。
少なくとも当時の私は、「その真意を確かめる」という視点はなく感情に飲まれて、「あっちが悪いんだ!」「あっちが一方的に偏見をもっている」という発想になることしかできていませんでした。
まさに偏狭な発想で客観的に物事を見ることができていない状態だったと思います。
そしてセミナーを受講していく中で、この差別は誰もが起こしてしまう可能性があるものだということも学びました。
自分や自分のコミュニティ以外の価値観をバカにしはじめる人はよく見かけますが、誰しもがそうなってしまう可能性を秘めていると思います。
私自身は単純にそんな醜い姿を次の世代に見せたくないという思いもありますし、偏狭な思考に陥りやすい時代だからこそ、フラットに世界を見続けられるように新しい視点を入れ続けたいと、今回のセミナーを受けて強く思いました。
私は海外に長期滞在していた時期に、黄色人種というだけで、軽く差別された経験があります。いわゆる白人至上主義みたいなものですね。
その当時は「なにもしていないのに、なんで差別されなきゃいけないの!」となすすべなくイライラ悶々とした気持ちを抱えて過ごすことしかできませんでした。
そんな経験があるからこそ、今回のセミナーに興味を持ったのですが、このセミナーで一番印象に残っているのが「差別は被害者側が積極的に作った可能性もある」という所です。
過去の経験もフラッシュバックして「そんなことあり得るの!?」と驚いたものの、しばらく聞いてみると、なんとも当たり前の話でした。
必ずしも、向こうが(特に個人が)作った差別とは限らなかったんですよね。
少なくとも当時の私は、「その真意を確かめる」という視点はなく感情に飲まれて、「あっちが悪いんだ!」「あっちが一方的に偏見をもっている」という発想になることしかできていませんでした。
まさに偏狭な発想で客観的に物事を見ることができていない状態だったと思います。
そしてセミナーを受講していく中で、この差別は誰もが起こしてしまう可能性があるものだということも学びました。
自分や自分のコミュニティ以外の価値観をバカにしはじめる人はよく見かけますが、誰しもがそうなってしまう可能性を秘めていると思います。
私自身は単純にそんな醜い姿を次の世代に見せたくないという思いもありますし、偏狭な思考に陥りやすい時代だからこそ、フラットに世界を見続けられるように新しい視点を入れ続けたいと、今回のセミナーを受けて強く思いました。