このページでは2011年に開催された【Real English Master Class】の募集レターを公開しています。
(セミナー詳細の案内など一部改変あり)
“結局、最良の英語学習とは一体どういうものなんだろうか?”
世の中には「必須」と言われることが多いスキルというものがいくつかあります。
例えば「コミュニケーション力」であったり「論理的思考力」であったり「空気を読む力」であったり、ビジネスなどでは「マーケティング」とか「コピーライティング」とか「企画力」とかそういったものが挙げられることが多いでしょう。
もちろんそれらはとても大切な力ですが、大切さという意味で、また万人に必要という意味で、「英語」の右に出るものはないのではないかと、個人的には思います。
英語というのはもはや「スキル」ですらなく、世界水準で見れば、「できて当たり前」の空気のようなものになって久しいというのが現実です。
日本にいると英語ができてもできなくても、基本的には平穏に生きていくことができるのであまり気になることはないのですが、一歩外に出たら、英語ができないというだけで誰からも相手にされない現実が広がります。
そもそも論として、日本国内に引きこもっていても、英語ができるのとできないのとではアクセスできる情報の質と量に雲泥の差が出ますし、今この文章を読んでいるくらいの人になれば、すでにそれを実感している人も多いのではないでしょうか。
ふとある情報が必要な時に、その情報が英語でしか見つからない。
そこで「ああ、ダメだ」と諦めるのか、当然のように目の前にあるその英語の情報を読み込んで次のステージに進むのか、そこが人生の質を分けるポイントになると言えば言い過ぎでしょうか?
英語を日本語と同等に使えることは、これからの人生にとってあまりインパクトのないことでしょうか?
英語を当たり前に使える日常。
これは、思っている以上に自分の世界が広がり、英語を敬遠していたころからは想像もできなかったような人生を歩むことができるようになります。
これは大げさに言っているのではなく、むしろ控えめに言って、このくらいです。
これが大げさに聞こえる人は、英語がどれだけ世界で力を持っている言語か、そして逆に日本語がどれほど力を持っていない言語かを知らないだけだと思います。
だから僕は日本語を圧倒的に愛する一方で、絶対的に英語を重視していて、強要はしないけれど、セミナーの受講者の人たちには出来れば英語を学んだ方がいいということを言い続けてきました。
しかし、ふと巷を見渡してみると、全く的を射た英語学習教材が見当たらないことに気が付きます。
「全く」というのは言いすぎかもしれませんが、いずれにせよ、どうにもピントがずれている気がするのです。
少なくとも僕は、ですが、「英語で本が読みたい」とかそういう欲求はありますが、「英語に詳しくなりたい」などという欲求はほとんどありません。
にもかかわらず巷の英語学習教材というのは、後者にフォーカスされているとしか思えないものが多く、個人的にはあまり学習意欲がそそられません。
現在完了形を4つの用法に分離させてその全てを言えることに何の意味があるのか、あるいは逆に文法を全否定して郵便ポストの場所を説明する例文を棒暗記して何の意味があるのか、僕には全く理解できないのです。
それらの教材を使うと、「英語を一生懸命勉強して英語という言語には詳しくなりました」「郵便ポストの位置を説明することには詳しくなりました」で終わってしまいます。
これが目標なら本屋さんに行けば山ほど適した教材が売っていますので、そちらを購入して、一生懸命学んでほしいと思います。
しかしそうではなく、僕のように「読みたい本があるが、邦訳がない」とか「どうしても聞きたい講演があるが、英語だ」というような理由で英語を学びたい気持ちがある場合は、期待に応えてくれる教材と出会うことは極めて難しいはずです。
なぜって、僕がそうでしたから。
“僕の”理想的な英語学習法を。
今回の英語のセミナーでは、上記のような問題意識から、あくまでも「僕が」理想的と思える英語学習法をお伝えしたいと考えています。
それは、ありきたりかもしれませんが、一言で言えば
「最小の努力で最大の結果をもたらせるもの」
です。
そもそもの目的が「英語でやりたいことがある」なわけですから、英語そのものにかけている時間など、1秒でも短くしたい。
でもなるべく学んだことは忘れたくない。
こういう「ワガママ」を追い求めてきた結果を、今回お話ししたいのです。
僕は、英語を学び始めてから今年で17年目になります。
英語を教えるようになって、10年目です。
その間、様々な寄り道をしてきましたが、今現在の僕が、昔の僕に教えるとしたらどういう教え方をするか、そういうものをお伝えします。
具体的には後述しますが、例えば、巷で大儲けしている業者が多い「アウトプット」などはほとんどやりません。
もう僕らは、これ以上郵便ポストの位置に詳しくなる必要はないと思います。
僕が今回のセミナーでお伝えしたいのは、あえて人気のない「インプット」にフォーカスした学習法です。
「人気がない」ということは、「ビジネスとしてわざわざ参入する意味がない」ということであり、つまり「世の中にまともな講座が決定的に欠けている」分野だということです。
僕みたいな物好きしか企画しないでしょう。
ですので、「誰でも簡単英会話」みたいなものに興味のある人のご期待には一生かかっても沿えません。
「英語で質の高い情報を正確にインプットし、また的確にそれを処理すること」こそが最終的には自分の英語力を最も少ない労力で最も高めてくれるということが理解できる方のみ、対象となります。
「英語ができる」の呪縛から解放されること。
そう言えば、我々日本人のほとんどは、いつの間にか「英語できない病」に冒されて大人になっていきます。
ほとんどの人が、口癖のように「私英語できません」「英語が苦手で」と無意味な発言を、それこそ何かの病気に冒されているかのように繰り返しています。
これは逆に言えば、「英語が完璧にできないといけない病」に冒されているということを意味しています。
「英語コンプレックス」に冒されている大人たちの中で、「テスト至上主義」教育を長年受けてくるとこの病に冒されるのですが、実際問題そんな病はクソ喰らえで、本質的にはどうでもいい話なのです。
それに何より、僕はそういう人に聞きたいのです。
「あなた、本当に“日本語はできる”って思ってるんですか?」
と。
もしそう思ってるとしたら、酷い勘違い野郎です。
我々が実は大して日本語もきちんと理解できていないにもかかわらず何不自由なく日本語を使って生きているという事実を考えれば、「英語ができない」ままでも特に不自由なく英語を使って生きていくことができるということになります。
むしろそうある方が自然で、さらに言うとそれが効率をもたらすことが普通です(そもそも実現不可能なことや、やっても無駄なことをやる時間が減りますので)。
まず我々に何よりも必要なのは、「英語ができる」などという病気に等しい幻想、そしてその呪縛から自由になることなのです。
3週間で米国企業と商談をまとめる?
この話に関連しますが、かつて僕が経験した面白い話があります。
もう数年も前になりますが、ある会合で、中国人のビジネスマンと少しだけ話す機会がありました。
彼は一昨日までアメリカにいて、A 社(有名な米国系企業です)との巨大な(具体的な数字は教えてくれませんでしたが)商談をまとめてきたところだと鼻息も荒く話していたところでした。
ただ、お世辞にも、彼の英語はうまくないし、聞きやすくもないし、文法的にもめちゃくちゃ。
そこで僕は、少し皮肉をこめて
「おお、それはすごいですね。きっとたくさん英語を勉強されたんですね」
と言ってみました。
すると彼はこれを皮肉ではなく文字通りに取ったらしく、ややキレ気味に噛みついてきました。
曰く、
「当たり前だ!」
と。
「本国(中国)で3週間も勉強したんだ!!」
と。
一瞬僕は数字のリスニングを誤ったかと思いましたが、彼は確かに3週間と言ったのだったし、実際に「3週間も」と心から思っているようでした。
その時僕は予備校で英語を教えていましたが、この一言で、ある種の悟りというか、今まで開いていなかった扉が開いたような感覚を得たものです。
「そうか、そういうことか」
と。
僕はずっと、英語のようなシンプルな言語を、どうして一生懸命学んでいる生徒たちが一向に苦手なままなのだろうと不思議に思っていましたが、この体験により、ひとつの重要なヒントを得たわけです。
必要なこと。
実際には諸々紆余曲折があったのですが、それらは端折ってとりあえず結論だけを言いますと、この体験からわかった、英語を学ぶ上で、スタート以前の問題として大切なことは、以下の二点に集約されます。
- 何がしたいかを明確にする
- かつてないほど真剣に、しかしかつてないほど適当にやる
逆に言うと、この二つが満たされないような場合、例えば「何となく英語できたらカッコいいかなーと思って」とか「もう文法的に完璧でないと嫌なんです、TOEIC 満点以外は価値がないんです」とか、そういう場合は、まず「英語をマスターする」などというゴールには(少なくとも人間の寿命の中では)たどり着けないということを意味します。
これは、残念ながら、厳しい現実なのです。
明確なビジョンを持ちつつこれまでにないほど真剣にやり、しかし同時に高田
純次もびっくりな程、適当にやる。
これが具体的な勉強に入る以前の問題として、大変重要になります。
真剣とか適当とか混乱させているかもしれませんが、わかりやすく言い換えれば、「真剣に取り組んだ後の結果は気にしない」ということです。
人事を尽くして天命を待つ、という素晴らしい言葉が日本にはありますが、そういうことだと理解してください。
このマインドセットは、本当に重要で、勉強が進めば進むほど実感できるようになります。
次に重要になるのが、巷で言う「基礎」の確立ですが、このベースをがっちり築くために最も効率のいい学習は何かと何年も考えた結果、今のところ、僕はあるひとつの結論に達しています。
最善の学習法。
上の二つのマインドセットを踏まえた上で、具体的にどういう学習が最善であるか、ということを考えたとき、僕は自信を持って
「本物の英語を正しいやり方で吸収すること」
と答えると思います。
ポイントは、理解でも暗記でもなく、吸収であるところです。
これはある意味当たり前の話で、汚い言葉を使う親に育てられた子供は汚い言葉を使うように、マクドナルドで育った子供はマクドナルドが好物になるように、結局人間は「吸収したもの」によってできているからです。
だから、しょーもない英語を吸収したら、しょーもない英語しか使えなくなるのが当然なのですね。
その意味で、例えばインプットとアウトプットであれば、インプットなくしてアウトプットなどあり得ないわけで、インプットの方が常に先にきます。
読み聞くのがインプット、書き話すのがアウトプットですから、多くの日本人が陥っているように、イキナリ無内容な「英会話」なるものをマスターしようというのは、絶対に不可能とは言いませんが、ほぼ不可能な芸当なのだということです。
知ってるから書けるし話すことができる。
当たり前の話ですが、こと多くの英語学習者を見ていて感じるのは、その当たり前のことがわからなくなっている、ということです(だからこそ英語市場は1兆円を大きく超えるほどの巨大市場になっているのでしょう。この巨大さこそが、ほとんどの人が英語をモノにできていないことを示しています)。
びっくりするのは、ある種の教材やメソッドを使うと、知らない言葉が読めたり、知らない単語を聞き分けられたり、それで意味がわかったりするという「オカルト」を本気で信じてしまう人が後を絶たないということで、僕はこういう業者は霊感商法として摘発されるべきだと思っていますが、無知で知的怠惰な人が数十万円から数百万円だまし取られる以外に大した実害がないので、誰も何も言わないのでしょう。
断言できますが、知らない単語は、一億回 CD を聞いても意味がわかるようにはなりませんし、一億回見ても意味がわかるようにはなりません(英語で「暮らす」のであれば話は別ですが)。
英語で何かを理解するためには、それ相応の意識的な学習と努力が必要なのです。
ですから、まずやるべきはとにかくインプット、特に良質な英文に触れることのできる「読解」なのです(アホが喋る口語にいくら触れても、アホになる以外の効果は期待できません)。
だからこそ、僕がこれから紹介しようとしているセミナーは、読解に特化したものになっています。
そもそもなぜ英語なのか?
僕は昔から、至る所で英語くらいはできるようになっといた方がいいですよと言ってきましたが、それはなぜかと言えば、3つの理由があります。
- ほとんどの重要情報は、英語である
- 物事を多角的に見るために必要である
- 言語としては世界一のサバイバル力を持っている
です。
例えば1に関して、世界に散らばる情報の半分とまでは言いませんが、それに準ずるくらいの規模の情報は英語です。
また、重要情報ほど、ほぼ確実に英語になっています(逆に言えば、英語ができないと、その情報に触れることはできません)。
英語の重要著作ほど日本語に翻訳されず、翻訳されるのは内容の薄い大衆受けしそうなものばかり、というのは、少し冷静に出版業界を見ている人ならだれでも気が付いていることでしょう(もっとも、それを「内容が濃い!」などと有り難がっている残念な人はその限りではないと思いますが)。
また、インテリジェンス能力を鍛えたいと思って訓練している人は特に切実に実感できたと思いますが、例えば
とか
程度は、最低限日経新聞を読むくらいの感覚で読めないと、お話になりません(内容的にも、日経同様時間をかけるほどの内容ではありませんから)。
経済誌で言えば、
などは、「ああ、こういう見方があるのね」など面白い視点が多いと感じます。
原発や放射能に関しても、例えば
などでは有用な論文や記事が多数公開されました。
これらはいずれも超巨大サイトでありメジャー中のメジャーですが、ほとんどの日本人は、これらすら読むこともできず、アクセスすることすらせず、誰かが(部分的&いい加減に)翻訳した文章を読んで一喜一憂しているだけなのです。
もちろん、それでなんにも気にならない人はそれでいいのですが、ここまで読んでいるくらいなので、きっと多少なりとも不安とか、これではいかんなあという感覚などがあるのではないかと思います。
英語が日本語と同じように読める人生というのは、これらのサイトは、ヤフーニュースやツイッターを見る感覚で読める人生だということです。
そういう世界をちょっと想像してみれば、なんだか今とは全く違う世界のような気がしないでしょうか?
“デマ”をバラまく人たちの特徴と、騙される人の特徴。
また、2の「多角的に物事を見る」に関して、僕が最近非常に危機感を持ったのが、今回の大震災から原発事故に関する情報の錯綜具合についてです。
僕個人が「デマ」と認定したい類の情報を必死にバラまいているのは、英語が「できそうな」人たちで、大体海外のソースを(都合のいいように)引用しながらあることないこと騒ぎまくっています。
そして、そのソースを確認することができない、つまり英語ができない人たちが、メインとなって煽られ、騙され、騒ぎを大きくしている。
「善意と無知が合わさると最悪のものが生まれることがあるんだな」と、同じ日本人として非常に残念に思いましたが、いずれにせよ、こんなのは英語が読めて、ソースをパッと確認できればそれで終わる話なのです。
つまり、情報を公平に見て本当のことを知るためには、何かひとつの情報源に接しているだけではほぼ不可能、ということであって、僕のメルマガを理解できる程度に脳みそが訓練されている人ならば、特に今回の原発でいかにメディアというものが偏っているか、あるいはいかに SNS がデマを急速に拡大するものであるか、どちらもそのまま鵜呑みにしたら危険なものであるかがわかったと思います。
また、メルマガでも書きましたが、国内の細かい動きは国内メディアの方が一般的にはフォローできている面があるのですが、東電が英語サイトの方を(こっそりと)日本語サイトよりもはるかに充実させていたように、実は海外メディアの方がより詳細な情報を持っていることもあるのが現状です。
そういう意味で、せめて英語くらいできていれば、見えてくる世界がぐっと広がり、またそれは「真実」に一歩も二歩も近づけることを意味するわけです。
「沈みゆく船」から脱出する方法。
最後に3の、「言語としてのサバイバル力」の話を簡単にしたいと思います。
細かく議論しているスペースはここではありませんが、日本は政治、経済、情報、いろいろな意味で「沈みゆく船」と形容できる状態にあると言わざるを得ない状況です。
今回の震災で、特に頭がよく成功している人ほど「日本がもしダメになったら」ということを考える必要があることに気が付いたようで、僕も比較的多くの相談を受けました。
日本語しかできないと、何がどう沈んでいるのか、海外から見たら日本はどう映るのか、どの辺が限界で、どの方向に逃げればいいのか、そういうことが全くわかりません。
タイタニックに乗って、ぶつかる直前でも楽しくダンスに興じているようなものです。
見えないから大丈夫だと思うけれど、見えてしまったらとんでもない状態だった、と。
こういう蒙昧な状態を最も効率よく、しかも簡単に打破してくれるのも、英語だと思います。
世界中から情報を集め、日本を相対化し、自分の今いる位置を把握し、冷静に判断する材料にすることができますし、そもそも英語ができれば、とりあえず世界のどこに放り出されても、その日から生きていくことができるわけで、最悪の事態になった時にも一番頼りになるわけです。
コピーライティングスキルがあれば世界中どこにいてもペン一本で稼げる、などと言われたりしますが、英語で書けなきゃ、日本が終わった時には何の役にも立たないスキルと化します。
日本語では、世界194ヶ国の中で日本一国でしか影響力を持ちませんが、英語は、世界中の約半分の国で影響力を持っています。
これは究極のリスクヘッジで、194ヶ国中90ヶ国くらいで使えるのが英語ですから、英語ができる人というのは、それだけである程度どこに放り出されることになっても、普通に生きていくことができます。
当たり前の話なのですが、案外多くの人はこの点に気付いていないようです。
「英語ができる人」の3パターン。
僕が観察した結果ですが、英語が比較的不自由なく使えると評価できる人には3つのパターンがあります。
- 天才
- 子供のころから英語漬け
- 努力の人
当たり前ですが今僕らが考えなければいけないのは1でも2でもなく3であることをまずは強調したいところです。
ただ、一口に「努力の人」と言っても、どういう努力が、どれくらい必要なのか、という議論をしなければ、我々のような一般人、通称凡人には、雲をつかむような話に聞こえてしまうわけですから、その点は少し深くお話しする必要があるかと思います。
中学校で初めて「英語」というものを学習し出し、それも英語が実はできない英語の先生に教科書通りのつまらない「英語もどき」を習い、特に留学などもせず、海外旅行はせいぜいハワイかグアム、結果英語が嫌いになるか苦手意識を持つかしたまま、英語を使うことなく大人になった我々が、今から逆転できるような、そんな方法を模索すること。
それが端的に求められているのではないかと思うのです。
そうであるならば、例えば子供のころからアメリカで暮らしていて英語がほとんど母語の人とか、あるいはそもそも天才的な頭脳を持っていて一度聞いたことは絶対忘れない人とか、小学生の時から英語が好きで好きで家では英語の本ばかり読んでいた人とか、ましてや英語のネイティブとか、そういう人たちに「どうやって英語を勉強したらいいですか?」などと質問するのは、甚だ見当外れだと言わざるを得ないでしょう。
「重要例文を1万ほど暗唱できればいいだけだから簡単ですよ」
などと真顔で言われるのがオチです。
天才と凡人、その違い。
しかし現実問題として、というか当たり前なのですが、一万も二万も重要例文を暗記することは、僕も含めて、容易ではありません。
それに人生を費やせる人はいいのでしょうが、僕ら凡人は、普段の生活があったり、その言語とは関係のない仕事が何時間もあったり、人によっては家族があったり、いわゆる「凡庸な」人生を送っているからです。
僕自身、さすがに寝食を忘れて語学の勉強をする気にはならないし、セミナーとコンサルをこなした後に朝方まで例文の暗記をするほど根性(情熱)もなくなってしまいました。
Time や Newsweek などに代表される英語雑誌を買ってみても、9割以上は読まずに廃棄されます。
定期購読などしていたころは、部屋の片隅に山のように積まれていました(もちろん、レファランスとしての機能は果たしましたが、まあ当初の「毎週ちゃんと読むぞ」という目標はあっという間に瓦解してしまっていたわけで・・・)。
そういう僕らが、天才的で情熱もある人たちのような勉強を楽しくやれるかというと、できる人から見れば言い訳なのでしょうが、ちょっと難しいかな、だったらできないまま死んでもいいかな、などと少しだけ思ってしまうのが普通だと思います。
天才というのは、いろんなことをあれこれ考え生きている凡庸な僕らとは違い、良くも悪くも、一般的な生活など全て見えなくなり、ただその目標に向かって突き進むことができるような存在です。
そういう意味で、僕個人の考えですが、凡人には、凡人なりの勉強法があるのではないかと思うわけです。
凡人のための勉強法。
今見てきたように、天才や極めて恵まれた環境にいた人たちに憧れ、彼らを真似して英語を身につけようというのは、労多くして益少なし、では実際には済まず、溺死しなければ大変幸運だと考えるべき所業だと思います。
そんな凡人が何かを成し遂げるためには、天才とは違って、元々の能力も普通な上に根性も普通、しかもいろいろな細かい毎日の生活を考えなければいけないですから、とにかく効率がよく出来るだけ楽しい勉強法を採用していくことが必要になります。
それが、今回セミナーでお伝えしたい勉強法なのです。
ですから、今回のセミナーは
“Real” English Master Class
というタイトルにいたしました。
「本物の」英語を、「正しい」方法で、という僕の切なる思いを込めています。
・・・と、何やら大上段に構えてしまいましたが、僕が提唱している方法は、おそらくこれ以上ないほどに、至ってシンプルです。
(1)世界のどこに出しても恥ずかしくない英文で
(2)正確に、また理性的に英文の構造と意味を理解し
(3)ふぃーるいんぐりっしゅも抜かりなく
この3点に気をつけながら、楽しく味わいながら英文と向き合う。
ただそれだけですから。
もちろん「1日30分聞き流すだけでー」などという“オカルト”に比べたらシンプルさは劣るかもしれないですが、あんなのはそもそも方法論とすら呼べないわけですから、ここでは比較しないでほしいと切に、切に思います。
ちなみに3つ目の「ふぃーるいんぐりっしゅ」に関しては、僕が予備校で働いていたころから作ってきたメルマガや教材があり、また数年前にも Feel English Master Class という名前のセミナーも行いましたし、熱心な方はご存知かと思います。
ご存じない場合は、セミナーでもきちんと扱いますし、今はあまり気にしなくても構いません。
どうしても気になる場合のみ、「認知意味論」で検索をかけて、雰囲気を掴んでおいていただければと思います。
「間違いのない英語」を学んだという絶対的な自信。
ところで僕自身大学に入ったばかりの頃はバッチリこの特徴を持っていたのですが、我々凡人の特徴として忘れてはならないことがあります。
それは、
「自分が使っている英語は間違っているのではないか、変に聞こえているので
はないか、という必要以上の恐れを抱いている」
ということです。
そんなの、英語のネイティブから見たら「外人」なんだから、ある意味変に決まっているのですが、しかしそうわかっていても、怖がってしまう面があることが否めない。
頭ではわかっているのに、いざ書いたり話したりしようとすると、縮こまって大したことが言えなくなってしまう。
こういう経験は、誰しもあるのではないでしょうか?
そういうときに大事なのは、絶対間違いない英語を学んだ、という自信なのです。
その自信があるから、堂々と話せるし、不意に聞き返されて「あれ、おかしな英語使ったかな」と変な汗をかく必要もなくなり、何度でも同じ表現を使って説明することができるようになります。
また、この自信は「積極性」も同時に与えてくれるスグレモノで、日本以外の場所に放り出された時、これほど要求されるものもありません。
僕は日本人の謙虚で控えめな所が非常に好きですが、しかし「世界で生き抜く」ということを視野に入れたとき、そうとばかりも言っていられない現実は確かにあります。
その意味で、英語を学ぶ時は「いつの時代も通用する“本物の”英語を学ぶ」ことが最優先されるべきであって、変にチャラいブロークンな英語などを初めに学んでしまうと、あとが悲惨なことになるわけです。
僕はそういう観点から、まずは歴史を超えて評価される文章で学ぶことを提案しています。
それが、(1)に挙げた、世界のどこに出しても恥ずかしくない、の意味です。
コース紹介。
今回、受講者のニーズや学習スタイルを考え、3コースを用意しましたので、それぞれを簡単にご紹介いたします。
1. Master コース
毎月、僕が重要な著作から選んできた例文集を使って、読解の方法解説とその訓練を行います。
扱う例文は、勝手に5つのジャンルを設定させてもらい、全てのジャンルから持ってくる予定です。
5つのジャンルとは
- 哲学・思想・宗教など
- 政治学・経済学・経営学など
- 数学・物理学・医学など
- 歴史学・音楽、芸術など
- エッセイや小説、各種記事など
で、いずれかのジャンルに偏らないよう、僕が独断と偏見で「これは人生を豊かにするために重要だ」と判断した著作の中から選んできます。
どの分野でもある程度そうなのですが、本というのは玉石混合である上にほとんどの重要著作が翻訳されておらず、さらにはよいものほど絶版になっていることが多いので、この例文集だけでも勉強になるとは思います。
例文は、個人的に所有している2500冊以上の洋書と、1万以上の論文やエッセイなどの電子資料の中から、僕が責任を持って厳選した英文を採用いたします(もちろん、必要に応じてネイティブのチェックも入れます)。
それこそ This is a pen.レベルの一文程度からはじめて一段落程度の長さまで、できれば1回のセミナーあたり10個程度演習ができればいいなというイメージです。
慣れないうちは面倒くさいと感じる作業が多いかもしれませんが、難解なことは一切やりませんし、1マスターすれば10応用が利く、そんなカリキュラムになっています。
また、外国語を「外国語として」学ぶことによって、単純に、地頭がよくなります。
これは外国語を学んだ人ならだれでも経験していることだと思いますが、異なった視点、異なった世界観を手に入れることは、脳みそそのもののキャパを広げることにつながります。
人間の思考は言葉に規定されるわけですから、新しい言葉を学ぶことは、新しい世界を手に入れることに等しい効果をもたらせるわけで、そういうものを期待して受講するのも大いにアリでしょう。
セミナーそれ自体は英文を正確に理解することに主眼が置かれていますが、内容の深い例文だけを持ってきますので、その背景解説などにもきちんと時間を割き、幅広く厚い教養を身につけるということも当然おろそかにはしません。
英語が正確に読めるようになり、地頭もよくなり、教養も身につく、そんな1粒で3度おいしい講座だということです(笑)。
2.Doctor コース
これは Master コースに加えて、やや長めの英文を中心に、補足テキストを配布し祖の演習を行うコースです。
それにより、単語から文、文から文章、文章から文書、という感じで、ミクロ・マクロの移動を訓練し、正確さとスピードを両立させる訓練をします。
具体的には、英語圏の知識人の思考パターンや論文特有のパターン、そういうものまでも飲み込むことにより、より正確かつスピーディな読解を目指すことになります(インテリジェンスなどの際にはどうしてもスピードが必要になりますので)。
ちなみにこれができれば、簡単な論文が書けるようになりますので、そういうニーズがある場合(すごい特殊なニーズだと思いますが 笑)にはかなり活きると思います。
文法は完璧で、全体として意味不明、というのが日本人の書くペーパーの特徴ですので、その辺を回避するための訓練になるという感じです。
これはまさに議論(ディベートやディスカッション)をする時にも当てはまる現象で、こういう訓練を受けたことがないから、日本人は議論が下手なままなのです。
このコースで「論理的なアウトプットとはどういうものか」を理解すれば、書くだけでなく話す言葉にも論理性が加わり、欧米圏の人間との議論も可能になってきます(日本では、ある程度煙たがられるかもしれませんが 苦笑)。
3.Bachelor コース(音声のみ)
これは Master コースのテキストを使って、簡単な解説を録音した音声を配布する、言わばセミナーなし、個別サポートなしの純粋な通信教材になります。
リーディング基礎講座の英語版、というイメージで間違ってないと思います。
テキストは Master コースで使うものを利用しますが、実際のセミナーはなく音声解説のみになりますので、例文を全て扱うことはできず、一部利用という形になります。
対象としては2種類の人を考えていて、
- 英語にはある程度不自由していないので、とりあえずテキストだけほしい人
- ぶっちゃけ、受講料きついっす、でも勉強したいっす、という人
等です。
これらのいずれかに当てはまる場合はこちらのコースを受講していただく感じでいいと思います。
ちなみに念のためにですが、配布する音声は、セミナーの音声ではありません。
セミナーは数時間になりますので、この Bachelor コースでは、要点だけをまとめた1時間程度の音声を新たに録り直し、配布することになります。
テキストは Master コースと同様なのですが、扱う例文が一部になっているという点、解説がセミナーと全く同じというわけではないという点、などが異なります。
あらかじめご了承ください。
要は。
結果が出れば、やり方は何でもいいんです。
結果が出れば、ある程度のことは頑張れるんです。
結果が出れば、少しくらい歯を食いしばることはできるんです。
でもあまりにも結果が出ないから、途中で嫌になっちゃうんです。
英語学習で躓いている人の心の声は、大体こんな感じだと僕は思っています。
ダイエットと似ていますよね。
別に、「このダイエット法じゃなきゃ絶対嫌だ!」みたいなことを言う人はほとんどいないわけで、実際にはバナナを食おうがクッキーを食おうがコーヒーを飲もうが有酸素運動をやろうが筋トレをやろうがツボを押そうが、言葉はあまり良くないかもしれませんが、要は痩せりゃ何でもいいわけです。
僕はこういう考え方に対して、少し「もったいないな」と思うことはありますが、別に否定しようという気は全くありません。
結果を求めるのは人として当然だし、あまりにも長い間結果らしきものが何も見えなければ嫌になるのも人として当然だと思うからです。
ですから、今回のセミナーは、時間にして3時間×4ヶ月=12時間しかありませんが、それでも過去数年分以上の結果を「実感」してもらえることに主眼を置いています。
何度も言いますが、今回のセミナーにおいては、英語は目的ではなく、手段です。
時間なんか、かけなくて済むならかけない方がいい。
もちろん僕は魔法は使えませんし、麻薬を売ることもできません。
でも、12時間で中学高校6年間分以上に「できるようになった!」と実感してもらえるような情報を余すところなくお伝えすることは、できるのです。
感情的な、本音を少し。
英文、もしくは意味のある塊(チャンク、と呼んだりします)がそのまま脳みそに吸収されていく感覚、これはある意味で驚愕の英語体験だと思います。
意識しないのに突然英語が口から出てくる、などということは人間としてあり得ないと思いますが、しかし出そうと思えばいつでも出てくるようにはなります。
これは、一瞬自分の頭の中に、巷で言う「英語脳」などというものができたのではないかと錯覚するほどに、初めはとても面白い体験です。
つまり、セミナーとしては読解を中心にやっていくにも関わらず、補足教材で配布する追加例文と音声を使って暗唱まできちんとやってくれると、世界のどこに出しても恥ずかしくない知的な英文が、ウィットに富んだ英文が、インテリのネイティブすらをも感心させるこなれた英文が、口から出るようにすることができるということです。
暗唱してくれなければこれは不可能ですのでやるかやらないかはお任せしますが、しかしやっていただければ、巷にある英会話教材などとは一線を画すアウトプットができることを保証します(ちなみに音声を聞き込むだけだと、リスニング力は飛躍的に伸びますが、会話力は期待したほど変化しません)。
人間もそうですが、大切なのは、中身です。
どう言うか以前に、何を言うかがどうしようもなければ、もうどうしようもないのです。
今回の教材は、はっきり言って、選ばれている英文のレベル(質)が違います。
一言で言えば、これが決定的にその他の教材と異なる点です。
どうせ読み込み、暗唱するのであれば、何を読み暗唱するのか、これが最も大事であることは言うまでもないでしょう。
5つのカテゴリーから満遍なく選んできた世界最高水準の英文250個。
この意味と価値がわかる人は、今すでに鼓動が速くなるのを感じているはずです。
様々なテーマに関する2500冊以上の洋書を買い、1万以上の論文やエッセイやレポートを集め、読み、英文を吟味し、内容を背景の文脈も含めて理解し、ネイティブのチェックも入れ、250に厳選し、それをネイティブに音読してもらう。
この作業をご自身でできるのであれば、僕の教材は全く不要だと思いますし、そもそも既に英語は日本語より堪能なのではないかと思いますので、そのままの調子で英語を使い続けていただければと思います。
でも、そうではない場合、何となく英語の必要性は感じつつも満足のいく結果を出せないまま今に至っている場合、もうそろそろ、その「結果」を出す時なのではないでしょうか。
最後に。
また例によって長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
何年もセミナーをやってくる中で受講生の人たちを見ていると、できれば英語を自由に使えるようになってほしい、そうすれば格段に高いステージに行くことができるのに、という思いがあったことは事実で、そういう思いから、今回のセミナーを企画しています。
僕は、英語の必要性を必死に説く時代はとっくに終わっていると考えています。
わかっている人はとっくにわかっているし、わからない人は、わからないままその場にとどまって死んでいっても特に不自由を感じない時代だからです。
だからあくまでも万人受けしそうなチャラい企画ではなく、心から必要性を感じている人に本当に役立つ内容、ということでこういうセミナーになりました。
いろいろ紆余曲折がありましたが、今回のセミナーは僕の英語講師歴10年の総決算です。どの程度英語に対して興味があるか、どの程度英語をモノにしたいか、どの程度英語の重要性を実感として感じているか、そして英語で何をしたいのか、そういうものに関しては個人差があるでしょうから、自分の感覚を信じていただければと思いますが、ただこれだけは言わせてください。
英語に関して、最小の努力で最大の結果を得られる学習は、ここにある。
以上です。
また定員が少なくて申し訳ないのですが、セミナーでお会いできることを楽しみにしています。
ありがとうございました。
木坂