ラグビーセミナーコラム3 木坂のラグビーの楽しみ方、スポーツの楽しみ方

この投稿は、2019年10月3日に和佐木坂サロン内で公開された木坂さんの投稿です。

こんばんは、木坂です。


ふぇいすぶっくに投稿している自分にまだ慣れていませんが、いつか息を吐くように投稿ができるようになるべく、今日もまた投稿をしてみます。

ふぇいすぶっくを攻略したら次はてぃっくとっくを攻略してなうでやんぐなダンスをアップし、その次はいんすたぐらむを攻略していんふるえんさーとしての地位を確固たるものにしたいと思っています。

さて、そんな僕の野望はともかく、僕の人生初ラグビーセミナーがあって、そのままスコットランド対サモアを観戦した人もいたと思いますし、テレビで観戦した人もいたと思いますが、僕がセミナーで解説したポイントが多々観られましたね。

どうでしょう、以前よりは試合が理解できるようになったでしょうか。

ラグビーというのは、多分世の中のスポーツの中でも特に「知れば知るほど指数関数的に面白くなる」スポーツで、あれだけ原始的で肉体的な様相を呈しているのに実は頭の中にどのくらい知識が入っているかによって面白さが格段に変化していくスポーツなのです。

それは、単にルールを知る、ということではないのです。

よくラグビーについて「ルールが分からないから何が面白いのかわからない」という人がいますが、実際にはルールが分かったところでスポーツは面白くなりません。僕は野球のルールもマラソンのルールも競歩のルールも知っていますが、ちっとも面白いと思わない。


そのスポーツを楽しむ上で大事なのは、そのスポーツの心を知るというか、ラグビーであれば、ラグビーとは何なのか、という非常に抽象的かつ哲学的な部分を知っていくということなのです。

そうすると、本当に面白くなってくるし、感動できるようになってくる。僕が野球を面白いと思わないのは、野球の心が分かっていないからか、分かったところで一切共感できないからか、なのです。まあ、簡単に言えばMSPのようなものです。


セミナーでも言った通り、ラグビーというのは歴史的に純粋なスポーツ、エンタメというよりは、人格形成という教育的な側面が強く、その点がサッカーやその他のスポーツと大きく違うところだと思います。そもそもが「パンとサーカス」におけるサーカスではないのです。

よく、

「スポーツを通して人間が成長する」

ということは言われますし、どのスポーツでももちろんそういう側面はあるのですが、ラグビーの場合は「結果論」じゃないんですよね、元々が「そのために」発展してきたスポーツなので、やってたら結果として人間として成長しました、みたいな感じなのではなく、成長するにはどういうルールにしたらいいか、あーでもないこーでもない、みたいな感じで発展してきたのです。

だからほとんど毎年ルールが微調整されるわけです。

「ルールが毎年変わるなんてややこしすぎる!」という意見もありますし、僕自身6年ラグビーをやって相当面倒くさかったので実際その通りだと思います。

でも、ラグビーは面倒くさいことが、アイデンティティのひとつなのだから仕方ない。

インスタントな教育は、インスタントな人間を育てますよね。イギリス人みたいに面倒くさい人間は、面倒くさいスポーツを通して育てられるのです。

3時間半の生放送で、和佐君が

「スクラムって、なんで組むんですか」

という質問を無邪気に投げかけてきたのは、大変面白いなと思いました。

それはバスケットボール選手に対して、バスケってなんであんな小さい輪っかにボール入れるんですか、と聞いているようなもので、そういうルールだからだよ、としか答えられない部分でもあるわけですが、彼の素朴な疑問の意味もよくわかる。

ラグビーというのは、面倒くさいことが大事なのです。

プレーを再開する場合、スクラムという、場合によっては命を落とすリスクすらあるような理不尽極まりない、誰が考えたんだかよくわからない摩訶不思議な形式で行わなければならない、というルールを残していることこそが、ラグビーなのです。

シンプル?何それ美味しいの?というメンタリティが、MSPを支配しています。

実は、放送でも言いましたが、世界にはスクラムをなくし、一般の人が見てもよくわからない密集戦をなくし、とにかく大衆スポーツとして「分かりやすさ」「スピード感」などを徹底していっているラグビーもあります。それを「ラグビーリーグ」と呼び、僕が今話している15人制のラグビー(ラグビーユニオン、と呼びます)とは別に13人制で独特な進化を遂げています。

でも僕は、ラグビーと呼ぶべきは15人制の、ユニオンだけだと思うのです。

ユニオンのラグビーがプロ化し、つまりエンタメスポーツとしての道を歩み始めたとき、ラグビーの世界では批判が巻き起こったものです。

「そんなことでは、ラグビーがダメになる」と。

ラガーマンは、カネのためにラグビーをやるのではない、人間を成長させるためにやるんだ、と。

ラグビー王国ニュージーランドの代表チーム(オールブラックスと呼びます)が負け続けた時期、まことしやかに「プロ化してしまったせいだ、誇りではなくカネのために戦うようになったからだ、それは真の戦士ではない」などということが、ニュージーランド国内では真顔で議論され、かの国では政治問題にまで発展したのです。

さすがに僕はそこまでガチガチに伝統的なラグビーの精神性に固執することは、ラグビーのためにもよくないと思いますが、要するに何が言いたいかと言うと、ラグビーはそのMSPが面倒くさいものであって、それに共感している人々も大体面倒くさいやつなんだ、ということです。

ただし、僕が面倒くさい人間かどうかは、皆さんは一生考える必要はありません。

いや、考えるまでもなく、自明だからじゃないですよ。


でも、その後ラグビーは、その教育性とエンタメ性を両立し、サッカーや野球みたいな市民権は得ていないと思いますが、それでも何とかかんとか、世界的な人気スポーツとして存続できています。

「人気スポーツ」というのは冗談でも贔屓目でもなくて、実際ラグビーワールドカップはオリンピック、サッカーワールドカップの次に大きな大会で、世界陸上などよりはるかに人気なのです。いやホントに。ホントなんだってば!


気が付けば、誰が興味あるんだかよくわからないことをこんなに長々と、つらつら書いてしまいました。

ただ、ここでの投稿は僕の将来のためのメモも兼ねているので、お許しください。

将来、僕がやる予定の小学校は、ラグビーが必須なのです。

僕が好きだから、というのは半分くらいありますが、もう半分は、一番簡単に、かつ直接的に人間としての成功を学ぶことができると思うからです。

ビジネスで成功している人、ないしは何らかの分野で結果を出している人、あるいは人生幸福そうに生きている人と話していると、ラグビー経験がない人とも案外ラグビーの話になります。

なぜなら、ラグビーを通すと、人生の成功法則が一瞬で説明できるからです。ラグビーという言語を使って、成功や幸福について話している、ということです。


ですから、僕の小学校について、カリキュラムのうち「ラグビー必須」ということだけが現状決定しているのです。

そのために今から、自分がラグビーについてどう考えているか、どのような意味で成功法則がそこに詰まっていると言えるのか、などを、誰でも理解できるような形で少しずつまとめておかないとなあ、と思っていたら、日本代表が驚くべき偉業をやってくれた、ということでまんまと便乗してしまったということです。

ああ神様、浅はかな私をお許しください。

でも、そんな浅はかな生き物を作ったのはあなたなので、もしお怒りなら責任を取って私を賢くしてください。

そうすれば、明日以降はもっとマシな投稿ができることでしょう。

もし明日以降もこの調子なら、それは神様のお許しが出たということを意味しますので、文句は神様までお願いいたします。

木坂