ラグビーセミナーコラム16ラガーマンではなかったイングランド代表

この投稿は、2019年11月8日に和佐木坂サロン内で公開された木坂さんの投稿です。

こんばんは、木坂です。


ワールドカップが終わってしまい、予想通り寂しい毎日ですが、ラグビー日本代表がついに卓球のゲストにまで呼ばれるのを見てなんとなく複雑な気持ちになりつつも、トップリーグをはじめとして国内の試合もたくさんの人が観に行くようになればいいなあと願うばかりです。

さて、今日は「決勝戦から僕が学んだこと」を書くつもりだったのですが、ちょっと気になる話題がありましたのでそっちを先に書きたいと思います。


まず、


このニュースを読んでみてください。

記事はこちら

イングランド代表が銀メダルを歓迎しなかった、という趣旨のものですが、しばしの間、これについて物議が醸されておりました。概ね、この記事でも報告されているように、批判的です。


確かに、直感的にはあまり感心する行為ではないように思いますが、具体的には何が問題なのでしょうか?例えば、ここで名指しで問題視されているイトジェですが、彼は

「ラグビー人生の中で最もつらい瞬間だった」

と述べています。それだけ、彼は勝ちたかった。

よく、アスリートは「1位以外は皆同じ」ということを言います。「明日死ぬけれど必ず金メダルが取れる薬がある。どうする?」と聞かれれば8割くらいの人がその薬を使うと答えた調査もあります。それくらい負けず嫌いな人間が集まっているわけですから、負けてすぐさま銀メダルを歓迎できないのもわからないでもない。

しかしながら、ですよ。今度はこちらを見てみてください。

(削除されていたため別の動画を紹介)


2位より下の、3位になった、王者オールブラックスのメダル授与式です。どうですか、めちゃくちゃウエルカムな空気感じゃないですか。

レジェンドの仲間入りをしてもいい選手であるベン・スミスなんかは、愛する子供にメダルを授与させ、3人でとてもいい笑顔になっています。

その後彼は

「どんな色でも、メダルを首から下げるのはこの上なく素晴らしいこと。もちろん狙っていた色ではなかったけどね。」

と大変お洒落なコメントしていますが、このあたりが、ラグビーの“神様”と人間の違いなのです。

オールブラックスというのは、前にも言ったかもしれませんが「勝つことが当たり前、負けたらニュース」になるようなチームです。

僕が学生の頃は、無様に負けると首相退陣問題にまで発展していました。

そのオールブラックスの面々が、ブロンズ色のメダルを歓迎している。歓迎を超えて、どこか誇らしく見えます。

なかなか考えされられる光景です。

僕は、アスリートとして見たとき、イトジェをはじめとするイングランド代表の態度は別に仕方がないと思います。負けず嫌い、大いに結構、という人もいるでしょうし、そういう面もあると思う。でも、ラガーマンとして見たときには、やはりいただけないのです。

なぜか、と言えば、ラガーマンという存在は

「環境に不平を述べるような存在ではない」

からです。

メダルの色も環境の一種です。

それに文句を述べてはいけない。

自分が招いた環境なのだから、全力を出し切って、人生をぶつけて、その結果としてやってきた環境なのだから、それは常に歓迎しなければならない。

「今までの人生では最もつらかった、だから次の大会では人生で最も幸福な瞬間にするために今まで以上に努力をしよう。そして、今はより優れた努力をしてきた南アを心から祝福しよう。」

そう思えなければいけないのです。

オールブラックスは、なぜ負けても絶対王者なのか、なぜラグビーの神様なのか。それは、当然その他のチームと決定的に違うところがあるからです。それがまさに、このシーンに現れていると僕は思います。

普通、イングランドや日本代表などすべてのチームは、まず試合で勝つことを考え、そのために厳しいトレーニングをしていきます。そして、そのトレーニングに何年も何年も耐え続けることによって、徐々にラグビーの理念が細胞に浸透し、真のラガーマンに成長する。

逆に言えば、今回のイングランド代表は

「ラグビーとしては非常に高度なものを作り上げたけれども、それにふさわしい精神性を養うには少し時間が足りなかった」

ということが言えます。

一方でオールブラックスは、この順番が逆です。

彼らは、まずラガーマンとして完成されている。そして、その高い精神性を持った状態で、厳しいトレーニングに何年も打ち込むのです。だから、オールブラックスには「人格者でないと入れない」とまで言われるわけです。

ニュージーランドにはそれこそ優れた身体能力の人がたくさんいます。

オールブラックスに憧れて様々な国からアスリートが集まるからです。

しかし、人格的に優れていなければ、つまり“ラガーマン”でなければ、決してオールブラックスに選ばれることはありません。

正直に言えば、この辺は商業スポーツとの両立の問題で常に揺れ動くものではありますが、それでも、なんとかその基準を保とうとしている。メダル授与式における、キャプテンをはじめとして、多くのオールブラックスの選手の顔を見れば、それは感じられると思います。

さてさて。

この話というのは、単なる「ラガーマン」という存在の精神性の高さを明らかにするに留まるものではありません。

何でも話を広げたがるのは僕の良くない癖ですが、頭の中で広がってしまうのだから仕方がない。

ちょっと本格的な話になるのでこの場でするかは悩むところではあるのですが、せっかくなのでこの話の続きを次回書いてみたいと思います。

決勝戦からの学びは、さらにその次ということで。

木坂

追伸:この写真は2015年度大会の1コマです。

準決勝、20対18でオールブラックスが勝利しました。2人がどんな会話を交わしたのかはわかりませんが、まあ、ネガティブなことでないのは、空気感から伝わってきますね。

今年の予選でも南ア対オールブラックスが行われ、またまたオールブラックスが勝利。その試合後も、神様に祈りをささげるためにうずくまる南アのコルビにオールブラックスのサヴェアが寄り添って何かを語りかける、似たようなシーンがありました。


こういうのを見ると、イングランド代表の態度というのは、いただけないというよりは「未熟」と表現するほかないような気が、個人的にはします。未熟なのだから、成熟すればよい。

オールブラックスを大人とすれば、イングランドはまだ子供。ただそれだけのことなのかなあ、と思うのです。