このページでは2010年に開催された【スピリチュアルセミナー】の募集レターを公開しています。
(セミナー詳細の案内など一部改変あり)
当時セミナーが募集された背景を知るきっかけとして、ぜひお役立て下さい。
当時の募集案内はここから
2010年、木坂健宣スピリチュアルを語る
―スピリチュアルと成功の本当の関係―
ども、こんにちは、木坂です。
上の言葉はソクラテスの言葉ですが、僕がすべてのセミナーで口を酸っぱくして伝えようとしていることをよく表わしています。
「善く」というのは、人によって「美しく」とか「品格のある」とか「尊く」とか「カッコ良く」とか「潔く」とか「他人のために」とか「正しく」とか「幸福に」とか、まあいろんな言葉に言い換えることができるかとは思います。
今回、このメッセージを伝えたい、という趣旨はもちろん今までと変わらないですが、木坂としては一風変わったセミナーの企画をしてみました。
いつもにも増してニーズがあるんだかないんだかよくわからないセミナーですが、もし興味があればちょっとお時間取っていただいて、読んでみてください。
少しでもスピリチュアルというものに興味があるのならば、
興味はあるけどオカルトっぽくて胡散臭い、といった思いがありイマイチ手をつけることができなかった、などの経験があるのならば、
そしてそのスピリチュアルと成功について、幸福について何か感じるところがあるのならば、きっと得るところあると思います。
ちなみに、2010年早い段階でのセミナーにこのテーマを選んだのは、そして一般参加も可としているのは、とても重要な意味を、個人的には感じているからです。
スピリチュアル嫌いが語るスピリチュアル。
何と言っても、これがこのセミナー最大の特徴かなと思います。
知ってる人は知っていますが、僕はスピリチュアルと世間で呼ばれているものが大嫌いです。
虫とお化けがこの世で一番嫌いなのですが、その次くらいに嫌いだと言っても過言ではないでしょう。
見ていてイライラするし、こいつらが世界をダメにしているんじゃないか、と思うときすらあります
(実際には彼らは“善意”のカタマリとして各々世界のために、未来のために活動していることは知っていますが)。
一応、食わず嫌いはいけないと思い、このセミナーを企画するにあたり、何冊か一般に出回るスピリチュアルにカテゴリーされる本を読んでみました。
・・・朝食べたものが全部皿に戻りそうでした。
もちろん、たまたまその手に取った本たちが特別、気持ち悪かったのかもしれません。ですから、サイトやブログも、いくつか尋ねてみました。
・・・前頭葉が欠けて鼻から脳髄が垂れそうでした。
勝手にロボトミー。
予想はしていたけれども、僕が最も忌み嫌うタイプのスピリチュアルが、そこには壮大なスケールでもって展開されていたのです。
「ああ、やっぱりこーゆーのがスピリチュアルとしてまかり通っているのか・・・」
記念すべき僕のスピリチュアルリサーチは、そう残念な確認をしただけに終わりました。
真のスピリチュアルは現実の成功「も」約束する。
一般にスピリチュアル、というと現実を軽視し、何か霊的な、神的なものを重視しているように思われます。
あるいは、現実は次の世界や霊の世界のための修行の場である、という位置づけかもしれません。
それが正しいか間違っているかは、現実にいる限り決してわかることはないのですが、いずれにしても今回のセミナーでは、主にスピリチュアルを3つの次元から捉えてお話ししようと考えています。
その3つの次元とは
1.スピリチュアルとは何か–その源流を探る–
2.スピリチュアルと成功
3.スピリチュアルと解放・自己実現
です。
正しくスピリチュアルを理解し、それを現実世界に活かす、という視点。
一言で言えば、これが、今回お伝えしたいことです。
僕はスピリチュアルというのは、決してふわふわした、この現実世界と乖離したものではないと考えています。
人間が本来霊的な存在であるのかどうか、人知を超えたところに神様がいてその世界の出来事がスピリチュアルなのかどうか、などといった類のことにはそこまで興味がありません。
興味がないというよりは、それらは「形而上学」の領域であり、あくまでもしっかり地に足をつけて、考えていきたいと思う人間なんです、と言ったほうが正確ですが。
かといって、現世利益のみを追求することのアホ臭さというか、無意味さというか、カッコ悪さというか、ダサさというか、醜さもよくわかっています。
「スピリチュアル」という概念が重要なのは、現実にとって「も」それ以外にとっても非常に大きな役割を持つからなのです。
ですから、巷に溢れる「スピリチュアル」が好きな人が楽しい話はあまりできないのではないかなと思います。
彼らは現実から目をそらし、現実を変えることを拒み、自分の人生を生きることを自ら放棄しています。
それは無自覚的でしょうが、僕から見れば、そうなのです。
僕のセミナーはいつものことですが、脳みそが結構疲れます。
つまり、思考力という現実を非常に重視しているということです。
その意味でも、「願えば叶う」「宇宙からのメッセージに素直に生きる」とだけノー天気に唱えているような、お花畑に住んでいるような人たちには全く向きません。
向きませんというか、単純についてこれないだろうし、もしかしたら何を言っているのかすらわからないかもしれないし、要は、得るところがないと思うんですね。
このセミナーに来て楽しめる人、得るものが大きい人というのは
・スピリチュアルというものの根本を正しく理解したい・スピリチュアリティと人間としての成功には密接な関係があると思う
・目に見えない力とか存在というのはあると思うけど、胡散臭いのは違う気がする
・目に見えるものだけが現実だったら、世界はなんてつまらないんだと思う
・興味はあるけど、何が信用できて何が信用できないのかがよくわからないから手をつけるのに躊躇がある
こんな人たちです。
「スピリチュアル」という概念が重要なのは、現実にとって「も」それ以外にとっても非常に大きな意味を持つからなのです。
このような人は、このセミナーに参加することで、本当の意味でのスピリチュアル、
そして現実と非現実、成功と失敗、自分と自分以外、あの世とこの世、などといったことが理解でき、自分と世界の未来に対して活かすことができるようになると思います。
で、このセミナーの前にちょっとお話ししておきたいことがあるのですが・・・
実は・・・
アルケミーの参加者の方はご存知だと思いますが、僕はあるヒーラーの資格を持っています。
ヒーラーに資格もへったくれもあるのか、という話なんですが、一応“マスター”の方から認定証を与えられており、やろうと思えば今日からでも普通に開業することができます。
ただ、もちろんやろうとは思わないし、やれるとも思わない。
ヒーリング、というものがいったい何であって、どういった原理で可能になるのか、などは何となく理解できているのですが、まだ実際の施術として、実感できていないからです。
しかし世の中にはヒーラーが溢れ、お金をもらい、ヒーリングと呼ばれることをしている。
もちろん一部本物の人がいることを僕自身体験から知っていますが、しかし多くの人たちは、ヒーリングの原理というか、ヒーリングを支える哲学の部分がごっそり抜け落ちていると言えます。
もう少しはっきり言えば、多少人を癒す訓練を受けて、何人かの人に褒められて、その程度でヒーラーになり、開業してしまっている人が腐るほどいる、ということです。
ヒーリングは、その根本となる「哲学」と確かな「技術」という二輪がなければなしえない行為だと僕は理解しているのですが、僕には後者が、世の中の多くのヒーラーたちには前者が、足りないのです。
ヒーラーをはじめとして、占い師やメンタルセラピストなどにかかること自体は、僕はいいことだと思っています。
しかし、かかる人を間違えてしまえば、それこそこちらでは何もわからないだけに、命取りになりかねません(よく変な宗教にはまってダメになってしまった有名人のことがテレビで放送されていますよね)。
ヒーリングができるようになる必要はないけれど、でも少なくとも目の前にいる“ヒーラー”が本物なのかどうか、くらいは見極められないといけません。
見極めるためには、本物のみが持つ特徴を理解すればいい。今回のセミナーは、そういった使い方もできるかもしれません。
ついでに。
一応断わっておきますが、僕は宇宙人と会話もできないし、見たこともないし、霊的な体験をしたこともないし(金縛りが一回ありますが笑)、
何か天からの声が聞こえたりしたこともないし、未来が見えたりすることもないし過去を見たりすることもできないし、
気やエネルギー的な何かで病気やけがを治したりすることもできないし、死んだ人と会話することもできないし空中を浮遊することもできません。
そういった「超常現象」的な世界を期待されると、僕は完全に役不足で、期待には絶対応えられないと思います。
「アストラル体」とか「エーテル体」とかについて、僕は語ることはできない。
「ハイヤーマインド」とか「ハイヤーセルフ」などとコンタクトをとったこともない。というか、それがいったいなんなのか、実感としてはよくわからない。
もちろんクンダリーニを上げることもできないし、悟りきった覚者でも何でもない。
どちらかと言えば俗物だろう、と我ながら思ったりがっかりしたりしています。
そんな僕が語るスピリチュアル。
そんなスピリチュアルに興味がある人だけ、集まってくれたら僕はとてもしゃべりやすくて、ついついアストラルについてとか、口が滑るかもしれないわけで。
まあ実際に何を話すか、どこまで口が滑るかは当日のお楽しみにしておいてほしいのですが、ひとつ言えるのは、決して、ふわんふわんした、耳触りのいいことを語る会ではない、ということです。
あくまでも「きちんと」スピリチュアルとは何なのか、について語り、考える会です。
また、具体的なヒーリングの方法とか、宇宙へのオーダーの出し方とか、願いの叶え方とか、なんて言うかそーゆー具体的なテクニックなどを話す時間もありません(し、時間があっても話したくはありません)。
なので、間違っても「一生懸命水嶋ヒロみたいな彼氏を引き寄せようと頑張っているのですがうまくいきません、何か方法を教えてください」みたいな人は参加しないでほしいと思います。
引き寄せの法則とシンクロニシティ。
「願えば叶っちゃうんでしょ」
うん、確かにそうなのかもしれません。
しかし、じゃあドラゴンボールではないですが、たとえばいわゆる“マスター”の人が「不老不死」を願ったら、それは引き寄せられ、叶うのでしょうか?
真相はよくわかりませんが、少なくとも叶っている人を見たことはないですね。
どんなに世界的なスピリチュアルリーダーであっても、老いて死んでいきます。
この点に例外はないように見えます。あるとしても、「肉体は滅びるが、魂は永遠である」といった趣旨の回答でしょう。
この回答が有意味であるか否かはちょっと今は置いておきますが、となると、「願えば叶う」とは一体どういうことなのか、という疑問がわいてこないでしょうか?
もし本当に「宇宙へオーダーを投げるだけでほしいものが手に入る」のならば、どうして人間の物理的限界、つまりこの場合は「老い」のことですが、これを超えることはできないのでしょうか?
僕は、願えば叶う、というのはある程度信じています。
が、今ちょっと考えただけでも明らかなように、限界は間違いなくあるのです。
その辺も踏まえて理解しなければ、いわゆる「引き寄せの法則」の本当のメカニズムなど理解できるはずもありません
(だから当然この素晴らしい“らしい”法則の恩恵にあずかることもできません)。
また、「シンクロニシティ」はどうでしょうか?
偶然体質、などと呼ぶ人もいるようですが、まあとにかく、このような体験は誰しも大なり小なりあると思います。
「そういえばあいつ元気かなあ」と思っていたら突然その人からメールがきたり、「たこ焼き食べたいなー」と思っていたらお父さんがお土産に買ってきたり。
それは果たして、本当に偶然なのか、それとも何らかの必然なのか、引き寄せの法則なのか。
その辺のメカニズムも、きちんと背景から理解して考えないとわかりません。
ただ漠然と「信じれば叶う」「思考は現実化する」とブツブツ言っていたところで、現実は何も変わらないのです。
現実をよりよく変えるための3ステップ。
なぜ僕が「現実」というものにこだわるのか、をきちんと説明するととんでもない時間がかかってしまうのですが、簡単に言えば、冒頭のソクラテスの言葉に集約されます。
そのためには、「ただ生きている」「自分のためだけに生きている」というのは全く不十分で、いかに「善く生きるか」を考えなくてはいけない。
そして、実践しそのように生きなくてはいけない。それが生まれてきた意味であり、責任である。
そう考えています。僕が思うに、現実を変えるには、少なくとも3つのことを理解する必要があります。
1.そもそも現実とは何か
2.スピリチュアルとは何か
3.両者の関係性はどうなのか
という3つです。
今ある現実だけを必死に、目を血走らせて眺めているだけでもダメ、かといって現実を軽視してスピリチュアルとか、明るい未来とか、逆に先祖とか、前世とか、そういったものだけを見ていてもダメなのです。
人には、生きているからには、この世に生を受けたからには、必ず何らかの存在意義があり、なすべきことがあり、またなせることがあるのです。
両者を、あくまでもバランスよく捉える必要がある。
そうして初めて見えてくる世界があります。
精神性、ここには人の感情とか科学で証明できないものすべてを含んでいますが、それらに理解を示さず、ただ目の前の現実に追われているやつにあまり未来を感じないのと同じように、
無理やり「とにかく信じろ、叶わないやつは信じる気持ちが足りない」なんて言われたって、無理なものは無理、無駄なものは無駄なのです。
そんなの、一昔前の体育会系の部活みたいな世界ですよね。
一切の思考力や判断力を停止させられ、ただ「はい」と言うことしか許されない世界。
そもそも我々には、なぜ「スピリチュアル」という概念が与えられているのか、そこから考え、理解しなくてはいけません。
なぜ“現実”を生きる我々に、スピリチュアルなんてものが与えられているのか、そこから理解しなくてはいけない、ということです。
その上で、思い思いにスピリチュアルと付き合えばいいのではないでしょうか。
全否定するのも自由、全肯定するのも自由、いいとこどりするのも自由。
しかし根本の理解なくしては、その選択すら、ありえないのです。
それは、言ってしまえば宗教のドグマと同じ。
自分の自由や思考のすべてを奪われ、ただただ教祖様とその宗教が崇める「神様」を盲信するだけの、木偶人形になり下がる儀式に他ならないのです。
今回のセミナーでは、2番の、スピリチュアルとは何か、についてをメインとしますが、1と3も分離不可能な部分がありますので、ある程度はあわせてお話することになると思います。
木坂の目的。
このようなセミナーをなぜ今開くのか、その理由はそれこそたくさんあるのですが、そのひとつに「バランスを取りたい」というのがあります。
冒頭で描写したように、現在日本のスピリチュアル界(そんなんあるのか?)は2つの極端な派閥に分かれています。
ひとつは、スピリチュアルをよく理解もせず、学びもせず、ただふわふわと「スピリチュアル最高」とばかりに盲信している人たち。
僕に言わせれば、彼らはどんなに動機が善であろうとも、世界にとっては有害でしかないわけで。
またもう一方の極に、スピリチュアルをよく理解もせず、学びもせず、ただひたすらバカにして食わず嫌いを決め込んでいる人たちがいます。
彼らも同じくらい世界にとって有害であると、僕は思っているのですが、要するに真ん中がごっそり抜け落ちているのです。
ニュートラルな位置から正しくスピリチュアルを理解し、自分と、世界のためにきちんと活かしていける、そんな人たちが。
その、ニュートラルな位置に立てるスピリチュアリスト(こんな言葉あんのか?)を増やしたいと、僕は考えています。
そんな人を少しでも生み出すお手伝いができたらなあと思っています。
しっかりと地に足ついた(これを「グラウンディング」と言います)視点から、精神性の世界にも深い理解を示すことができる人、そして現実を、未来を変革し、自らの力で切り拓いていくことのできる人、要するに本当の意味で成功できる人。
「成功法則」に従っても成功できない本当の理由。
年末の忙しい中、時間を割いてこんな文章を読んでくれているあなたに、特別に、この答えを教えます。
説明するのは案外簡単ですが、はじめに少し確認させてください。
「あなたにとっての成功とは何ですか?」
さて、ここに100人いたとして、この問いの答えは何種類出てくるでしょうか?
ぴったり100種類出てくるかはわかりませんが、少なくとも一種類ってことはないですよね。
僕の成功の定義と、あなたの成功の定義も、おそらくは違うはずです。
なぜこのようなことが起こるのか、と言えば、成功というのは「幸福」とほぼ同義であり、「幸福」というのは極めて主観的なものだからです。
「私には私の人生があり、私には私の幸せがある」
なんて三行半を突き付けられたら誰もが悲しいわけですが、要はそーゆーことです。
この、非常に単純な事実を忘れなければ、巷に出回る「成功法則」がなぜ「あなたを」成功に導いてくれないのかをすんなり理解することができます。
そう、その「法則」とやらは、「あなたの」成功法則ではないから。この一言に尽きるのです。
成功法則というのは、すごい人にこっそり教えてもらうものでも、その辺に落ちているものでもなく、自分の力で創るものなのです。
「木坂のセミナーには行きたくないけど成功はしたい」というわがまま三昧決め込んでいる人もここだけは理解してほしいのですが、「あなたが」成功するための法則というのは、
少なくとも、一般書籍などになって「これが成功するための法則です!みんなこの法則に従って頑張りましょう!!」と言えるものではない、ということです。
簡単に言い換えれば、
「あんたの成功法則は、あんたにしか創れねえんだよ」
ということ。
とてもシンプルですが、このことに気が付けたら、僕のセミナーに来なくても成功はだいぶ近くに来たと思いますよ。
あとは、どこまで突き詰めていけるか、自分の「法則」にまで昇華できるか、というところです。
結局、スピリチュアルとは何なのか?
ここまで読んで、そう感じた人も多いかと思います。
それをセミナーで一緒に考えようよ、というのが僕のメッセージなのですが、例によってセミナーに来る気のない人もいると思いますので(笑)、考え始めというか、根本的な話をひとつしておきます。
スピリチュアリズムの源流というのは、簡単に言えば神秘主義思想です。
世の中にはいろんな宗教があって、それぞれに神秘思想があるけれども、それらが形を変え、時代を経て、現代において「スピリチュアル」と呼ばれているわけです。
人はいつの時代も「いかに善く生きるか」を考えてきたし、いかに「幸福になるか」を考えてきました。
それは、我々が人間として生まれ、死んでいくにあたって、当然最も関心の高いことですし、それゆえにどの文化でも同じ事が言えます。
その行き着いた先が神秘主義であり、スピリチュアルなのです。
この辺の、ある種普遍的な事実を踏まえて、
「人間は、生まれながらに宗教的である」
というのが僕の個人的な持論なのですが、実は、あらゆる宗教の“論理的な”帰結は、神秘主義なんですね。
この命題の意味がよくわかるのであれば、今回のセミナーに出ても得るものは他の人よりも少ないかもしれません。
でももしいまいちピンとこないのであれば、セミナーに出ることで世界の見方が180度変わるかもしれない。
そう個人的には思っています。
セミナーの内容は、上に書いたとおりです。
はじめの方でも触れましたが、
1.スピリチュアルとは何か-その源流を探る-
2.スピリチュアルと成功
3.スピリチュアルと解放・自己実現
といった3次元でスピリチュアルを正しく、地に足ついた意味ある形で捉えなおし、今我々が生きる現実における、人生における成功と幸福を獲得するために活かせるようなヒントを持って帰ってもらうセミナーです。
「スピリチュアルとは何か」ということを切り口に、「人間とは何か」とか「成功法則とは何か、またどうやって創るのか」などといったことにも深く言及していきたいと思っています。
スピリチュアリティの理解を自分の人生や自分の周りの人生、広くは世界というものにまであてはめ、活かし、より良く変革していきたい、そして自分自身はできる限り「善く生きたい」という意志のある全ての人に役立つセミナーになるでしょう。
希望か、絶望か。
最後に一言だけ。
このセミナーを受けて、人によってはスピリチュアルにロマンとか神秘とかを感じなくなってしまうかもしれないし、また人によっては逆にロマンとか神秘とか、そういったものを感じるようになるかもしれない。
人によってはスピリチュアルに距離を取りたくなるかもしれないし、人によってはすごく身近に感じるようになるかもしれない。
人によってはスピリチュアルをすごく現実的なものだと感じるかもしれないし、人によってはとても神秘的なものに感じるかもしれない。
人によっては世界をダメにするものに感じるかもしれないし、人によっては世界を救う神聖なものに感じるかもしれない。
受け手によって、全く印象が変わると思うのです。
それは、スピリチュアルに限らないですが、学べば学ぶほど未来に希望が持てる人もいれば、逆にドンドン絶望していってしまう人もいるのと同じことです。
あなたがどちらのタイプなのかは、わかりません。
しかしどちらであったとしても、何らかのよい変化をもたらせることだけは、お約束できます。
自分を変えることは、とても勇気がいることだし、怖いことです。
今の自分、過去の自分にしがみついて、変化を拒み、世界との関わりを拒絶して生きていくことがいかに楽であるか、そんなことは僕も重々知っています。
だけどそれでは、人間は生きている意味がないと思うのです。
僕は、せっかくこの時代にこの世に生まれてきたのだから、意味のある生を全うしたいと思うし、みんなにそうあってほしいと思う。
だから、少なくともそういう意志のある人、思いのある人には、是非ともセミナーに出てほしいなと思っています。
そういう人であれば、セミナーを受けて驚くべき変化を実感できると思いますので。
それでは、セミナーで実際にお会いできることを楽しみにしています。ここまでお時間いただき、ありがとうございました!
木坂
追伸:世の中には、立場上公の場で話せないことがあります。
それはいろんな要素が絡まってそうなるのですが、しかし大事なことは
「そのような“危険な”情報も、ほぼ万人に開かれた情報から論理的に導くことができる」
ということです。
これはインテリジェンスの基本的なスタンスになりますが、要するに大事なのは頭の使い方であり、視点だということです。
真実を見つけるヒントは、それこそそこら中に転がっているんです。
しかし、ほとんどの人はそれに気がつかない。
だから、知らず知らずのうちに振り回され、騙されカモられていきます。
僕のセミナーはすべて、頭を鍛えること、を唯一の目的としていますが、おそらくテーマ的には今回のようなものが一番それを実感できるかなと思います。
是非、セミナーを受ける前と受けた後で(その瞬間から)見える世界が全く変わる、ということを実際に体験してもらいたいです。
追伸2:スピリチュアルと心(マインド・メンタル)の問題とは異なります。
どうも一部カウンセラーの方などが混同しているようなのですが、心の問題を扱うのは各種心理学であり、スピリチュアリティが一部関係することはあれど、イコールではありません。
今回のセミナーでは、心理学ではなく、スピリチュアルに焦点が当たっています。その辺は間違えずにご検討ください。
追伸3:2012年、世界は滅亡するのかどうか。
アセンションが起こるのかどうか。
この辺の話は、マヤの予言というのが根拠になっているのはご存知かと思いますが、現代に生きるマヤの大長老が、このことに関して声明を発表しています。
http://www.youtube.com/watch?v=vcaez8jn2Zg
要点をまとめれば
・マヤ暦では、60時間程度太陽が見えなくなる暗闇の年が5200年に一度訪れる
・その暗闇はいずれ過ぎ去り、新しい太陽が現れる
・それは単なる暦上の「区切り」であり、いわば新年を迎えるような祝うべきものである
・暗闇の間、マヤは炎を絶やすことなく、新しい太陽が現れるまで照らし続ける
・暗闇の年が厳密にいつなのか、はマヤの長老も含め、誰にもわからない
ということになります。
要するに、
「2012年に世界が終る?そんなことはどこにも一言も書いていない。大体、2012年かどうかもわからないのに」ということを言っているわけですね。
この動画を紹介してくれた、世界で活躍するあるヒーラーの方は、と、昨今の欧米や日本の2012年終末論を喝破しています。
僕自身、過去のメルマガで「ニーズを満たすのがビジネス、弱みに付け込むのが悪徳商法」
「人々を不安に陥れることで金を稼いだり利を得ようとするなら、それはスピリチュアル詐欺の一種である。」
と定義しましたが、まさにその定義があてはまりますね。
スピリチュアルというのは、目に見えないだけに、騙しやすく、また騙されやすいものです。
当たり前っちゃあ当たり前ですが、正しい視点と知識を身につけるしか、自分を守る方法はないということです。
「自己投資」なんて言葉がだいぶ前から流行っていますが、一体どれだけの人が本当の意味で自己投資できているのか。
何が自分にとって本当の自己投資なのか、あらためて考えてみるのも、得るところ大きいかもしれません。