【アフターコロナの振り返り④木坂さんのセミナーを受講してみて正直に思ふこと

今回はアフターコロナセミナーの
振り返り第4弾ということで

・日本の行く末セミナーwithコロナ
 とサバイヴセミナー2つのセミナーを
 受講した和佐さんの正直な感想

・健康セミナーの前に和佐さんが語った
 「死ねない時代の生き方」

2つの内容について紹介します。

セミナーを受講した和佐さんの
感想については

「ネタバレは避けて書きます」
と前置きがあるにも関わらず

いい感じにネタバレしているので
ぜひ読んでみてください。

まず、

・日本の行く末セミナーwithコロナ
・サバイヴセミナー

2つのセミナーを受講した和佐さんの感想がコチラ
https://wasakisakaarchives.com/aftercovid-kansou/

続いて

健康セミナーの前に和佐さんが語った
「死ねない時代の生き方」

が以下の内容です。

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死ねない時代の生き方
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昨日ある人と話していて、
非常に興味深い話になりました。

その人は50代後半で、
もうそろそろ体力に
限界を感じ始めている、と。

僕は、

「じゃあ、今度の木坂さんのセミナーを
 受講しなきゃいけないですね」

と、しれっとセミナーの
売込みをしたんですが(笑)

でも冷静に考えると
これって非常に面白くて、

要するに、

50歳って、まだ人生の“半分”なんですよ。

「人生100年時代」を前提として考えるなら、
まだまだ半分。

あと50年残ってるわけです。

これは恐ろしい話ですよね?

僕は32歳ですから、あと残り70年もある。

50代で既に限界を感じていたら、あと残りの
50年はどーやって生きていくの?と(笑)

僕はこの、

「残りの人生をどう考えるか?」

と言う視点はものすごく大事だし、面白いと
思っていて、まさに人生を左右する問いだと
思っています。

ちなみにその50代の人は、

「俺は100歳まで生きたいとは思わないけどな」

と呟いてたんですが、実は僕も同感で、
ぶっちゃけ、人生100年って長いと思ってます。

そして僕は「長生きがしたい」とはこれっぽっちも
思わない。

でも、長生きしたいと思わなくたって、
僕らはこれからどんどん死ねなくなっていきます。

~~

つまり、

「長生きしたい人が100年生きる」

のではなく、

「死にたくても100年死ねない」

のが、これからの時代なのです。

だって、仮にあと50年と考えた時、
50年後の医療ってどうなってると思いますか?

50年経てばもうとんでもなく進歩してるはず。

例えば、

「臓器を交換する」

と言うことが当たり前になるかもしれない。

人工臓器でもいいし、自分の細胞から培養して、
新しい健康な臓器が作れるかもしれません。

もしそうなれば

「体の交換」

が可能と言うことですから、どう考えても
長生きになるわけです。

他にもいくらでも可能性は考えられますね。

アンチエイジングの技術が進歩すればそもそも
「老化」が遅らせれるかもしれません。

だから、

「俺は長生きしたいとは思わない」

と言うのは、ちょっと視点がズレていて、
僕らのこれからの人生というのは、

「長生きを強制させられる人生」

だと考えた方がいいんです。

人生100年時代というのは、ちょっとやそっとじゃ
人間が死ななくなって、長生きせざるを得ない時代。

そんな時代においての

「健康」

って何なんでしょう?

僕らはこの本質にちゃんと向き合う必要があるんです。

僕なら残り70年。

70年もあればもしかすると

「人格をコピーする」

ということが可能になって、もはや肉体を捨てる
時代になるかもしれません。

そうなると文字通り、

「死ねない」

ということです。

生と死という概念が覆る。

陳腐なSF映画のようですが、でも、70年って実際、
そのぐらいの劇的な変化が起こってもおかしくない
年月です。

特にこれからの70年はすごい。

だから僕らは「人生100年時代」なんて超えて、
「死ねない時代」を生きることを考える必要が
あるかもしれません。

もちろんこれは実際にどうなるかはわかりませんよ。

でも間違いなく言えることは、

「健康」

という概念は、これから大きく変わるということです。

健康セミナーの案内でも書きましたが、これからの
時代の健康というのは、ただ病気をしないとか、
体力があるとか、そーゆーことではなくて、

「その人がその人らしく人生を全うするための土台」
~~~~~~~~~
です。

その人がその人らしく生きているのであれば、
それこそが「健康的」と言えるわけです。

だから木坂さんも僕も決して、

「我慢して健康にならなければならない」

という話をしているわけではありません。

あれもダメ、これもダメ、と、制約ばかりでは
「その人らしく生きる」という意味では、
「不健康」になってしまいます。

制約ばかりの人生を100年生きることは、
結構しんどいと思うのです。

結局、健康も人生も

「総合力」

です。

「全体最適」

と言ってもいいでしょう。

自分というものを最適化していく。

どう生きることが「自分」と言えるのか?

健康とは関係ありませんが、仕事も同じです。

その仕事は「自分」と呼べるものか?ということ。

別に職業差別をしているわけじゃありませんが、
自分が反映されない仕事をするのって、人生の
浪費だと思うわけです。

そう言えばとある大学生が、

「もう就活が嫌すぎて、
 とりあえず内定もらってる会社に就職しようと思う」

と話してましたが、ぶっちゃけこれが世の中の
一般的な大学生の本音だと思います。

「嫌だけど、より嫌なことを避けるために
 それを選ぶ」

コンビニの弁当を選ぶときに、よりヘルシーな物を
選ぶのに似ていますね。

「いや、どれを選んだって五十歩百歩だよ」と(苦笑)

こーゆーのを「妥協」と呼ぶわけですが、
僕らの人生はぼーっとしていると妥協まみれに
なっていきます。

健康も、仕事も、恋愛も、妥協の連続。

それは「最適」と言えるのか?

ということです。

もちろん、ある種の原理主義者的に、妥協しないこと、
最適化することに固執したら、それはそれで大変、
生きづらい人生になってしまいますよ(笑)

だから「自分にできること」からでいいんです。

というかそれしかできないし。

健康にしろ、仕事にしろ、できる範囲で最適を問う。

そして少しずつ全体最適をしていく。

そうすれば気づいたときには、人生が今よりも
ハッキリとした輪郭を帯びてくるはずです。

「これが俺だ」
「これが私だ」

という感覚。

僕はマイケル・ジャクソンの

「THIS IS IT」

が好きですが、

「まさにこれ」

という感覚が重要だと思うんです。

もし100年生きるなら、THIS IS ITな人生を生きたい。

コロナって、僕はこーゆー素朴な感覚を浮き彫りに
したと思っています。

コロナに振り回されるのはTHIS IS ITなのか?と。

あるいは、不況に振り回されるのはTHIS IS ITなのか?と。

多分、外的なものに振り回されるということは、
振り回される分だけ、その人の人生は最適化されていない
ということです。

だってそれはつまり、

「外的なものに最適化した人生」

ってことですからね。

例えば、仕事に最適化した人生。

自分じゃなくて仕事が優先される。

だから仕事の「状況」に振り回される。

コロナによってみんな振り回されたわけです。

だから少しずつみんな気がつき始める。

「あれ、俺の人生って何なん?」

と。

これ、100年続くって考えたら絶望ですよね?

これから先、

「コロナ的なるもの(世界的混乱の元凶)」

は、いくらでもやってくるんです。

100年も生きていれば当然、二度、三度、いや、
五度、六度、何度だってそーゆーものがやってくる
でしょう。

その度にいちいち

「俺の人生って何なん?」

と思っていたら、流石にバカでしょう(苦笑)

いい加減、気が付け、と。

ちゃんと「自分」を生きていれば、ちょっとやそっとじゃ
揺るがないわけです。

仮に戦争になったって、自分を生きている人は、
過酷な環境下でも、自分を生きられるでしょう。

僕のように事故で障害を負うことだってあるかも
しれません。

「体がある日突然動かなくなる」

これは相当ハイレベルなちゃぶ台返しです(笑)

例えば、その人がスポーツ選手なら・・・

なおさら、

「俺の人生って何なん?」

という状態になるでしょう。

でも、それでも人生は続くんです。

だとしたら、体が動かなくても自分である「あり方」を
考えるしかない。

そしてそれは多分、よりその人の本質なんですよ。

体が動かなくても俺は俺。

「HUNTER × HUNTER」のネテロ会長を思い出しますね。

彼はメルエムとの戦いの中で腕を失い、
それでもなお、

「腕がなけりゃ祈れねぇとでも?」

と言い放ちました。

そして、

「祈りとは心の所作である」

と言って、最後の大技を繰り出した。

つまり、腕を失ってもなお、本質は何も変わらない、
ということです。

体が動かなくなっても、病気になっても、
仕事を失っても、大事な人を亡くしても、
人生の本質はどこかに変わらず存在している。

一瞬、戸惑ったり狼狽ることはあっても、
自分を生きれる人は、必ずその本質に戻るんです。

コロナは多くの人の人生のあり方を揺さぶったはずです。

これはピンチなのか?

僕は自分の人生の本質に近づくチャンスだと思います。

なんか色々と話が飛んじゃいましたが(苦笑)

健康について改めて考えること、
人生について改めて考えること、
自分について改めて考えること、

これらは全て、本質への道です。

これから先、色々な意味で、

「人生の本質に近い人」

の時代になるはずです。

死ねなくなるという意味でも、
暇になるという意味でも、
その人がその人らしく生きる以外に、
他に何か考えるべきことがあるでしょうか?

優先すべきことがあるでしょうか?

本当に面白い時代ですね(笑)

良い機会だと思うので、これを機に、
ぜひ健康について、改めて考えていきましょう。

では、また。

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ここまで
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健康セミナーの説明+
「死を宣告された木坂の物語」
が記されているレターも共有するので

ぜひご覧ください。
https://wasakisakaarchives.com/aftercovid-letter2/

今日案内したコンテンツだけで
何万字読ませるんだ!

というぐらい
ボリューム満点ですが

ライティングの勉強にもなるし
読み物としても非常に面白い内容です。

ぜひそういった視点でも
当時の振り返り配信を
楽しんでいただければと思います。

アフターコロナセミナーを
購入する場合はコチラ
https://wasakisakaarchives.com/product/aftercovid/

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これまで紹介した関連コンテンツ一覧

・コロナウイルスについて知っておきたい18のこと
https://wasakisakaarchives.com/aftercovid-200311/

・新型コロナウィルスのせいで
 沈みゆく日本のために僕らができること
https://wasakisakaarchives.com/aftercovid-bokura/

・アフターコロナセミナーレター
https://wasakisakaarchives.com/aftercovid-letter/

・死を宣告された木坂の物語
https://wasakisakaarchives.com/aftercovid-letter2/


続きは以下のページをご覧ください

【アフターコロナの振り返り⑤】アフターコロナ時代を僕らはどう生きて行こうか?

バックナンバーはこちら

【アフターコロナの振り返り①】アフターコロナセミナーの起源

【アフターコロナの振り返り②】今の僕らに本当に必要な”視点”

【アフターコロナの振り返り③】開催に向けて木坂さん書き下ろしメッセージ